無償の愛・親に対しての理想像・人間 三空及び玉楊を否定する理由 子供は産まれてから暫くは母に全面的に頼る。今までいた安全な場所から危険しか存在しない場所で唯一頼れるのが’母親’だと私は思う。 太古から’母性’はそのまま’女性’の象徴だった。女以外子を産む者はいないし、たとえどれだけ科学が発展しても男性の殆どが進んで妊娠する事を望むとは思えない。何より自然ではない。(というと同性愛は自然なのか?とも思えるがこれは私の考えを記すだけのものであって、学期的なものでは無い。) 母親も基本的に(そうでないケースもあるが)産んだ子供を’守る’本能があると私は思う。(’愛する’かどうかは人間性によると思うし’守ってる’内に芽ばえるものだと思う。)子を身重る時から女は母になり始める。そして産むまでの間(子供を’守ってる’間)に愛情も芽ばえるのが理想的であり、また、基本的である(そうでない場合もあるが。)そういう訳で子供は産まれた(一個人として社会的に認められる時)時点でスデに母親の’愛’を得ている。つまり、何もせずに得た愛であり、また、母親の’守る’本能から見返りを求めない愛である。すなわち、本当に’無償の愛’だと思う。(以上私の考え)そして、その愛を与えた時に女は母になる。(子共を産まずに’母’にはなれるが経緯が違って来る) さて、父親は別である。’母親’は基本的に九ヶ月(一年の2分の3)は子供と体を共有し、また自分の身体を傷めて子供を産む。対して父親は何もしない。(セックスは子作りに必要だが別にそれが男性の目的じゃないケースが圧倒的に多い) そもそも男はあまり’血’のつながった子供以外我が子と認めないケースが多い。これは多分プライドと社会のルールが関係してるんだろう。(純血を尊重する世界だからな、だから人種差別とか起こるんだろう)まぁ、私は男じゃないからそのプレッシャーが幾程のものかは分からないがそうとう凄いと思われる。 なら血のつながりがなければ’父親’にはなれないのか?とんでもない。男も女も同じ人間である。子供を産むだけでは’母親’ではない、’無償の愛’を与えたら’母親’になる。’父親’にしても然り。 ’父親’がその子供を我が子と認めた瞬間’無償の愛’を与えるためのプロセスが始まる。子供を知り、その子供が自分を’継ぐ’と考えた瞬間、それは’守る’対象になる。男としてのプライドと自分を’継ぐ’者がいる自己満足から男は子供を’愛’し’守る’。その思いを育くめば’無償の愛’になる。